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クオリア日記 2003.4.14.より

 ぽかぽか陽気に誘われて、

 代々木から明治神宮の森を抜けて、原宿まであるいた。

 

 明治神宮の森の道には、「光の川」ができていた。

 道の両側からせり出している木の梢が、

広い玉砂利の道のちょうど真ん中にギザギザの光の川

だけを残して陽光をさえぎり、

 その光の川は、代々木側から原宿側に向けて、

ずっと玉砂利の上をのびていた。

 

 光の川は、やがて、両側から遮る森がなくなると、

光の大海になった。

 その光の大海の中に、表参道があった。

 

 表参道を下っていって、右手におれたところに、

クレヨンハウスがあった。

 確かこのあたり、と見当をつけた場所から少しずれている。

なにしろ、くるのは20年ぶりくらいである。

 地下のオーガニックレストランで、赤ワインを一杯飲んだ。

 

 1階の本屋をぶらぶらしていると、黒い蝶が天井の低い

空間の中を息苦しそうに飛んでいる。

 飛び方で、だいたいわかったが、

さっと稲妻のように見えた青い線と白い点で確認できた。

 ルリタテハだ。

 

 子供の時、森の中でルリタテハと出会うことは、とりわけ

心が躍る出来事だった。

 金剛の胸筋をもつルリタテハは、その飛翔がとりわけ

敏捷で、

 私のつたない手のふるうネットに入れることは、

簡単ではなかった。

 

 そのルリタテハが、クレヨンハウスの店の中に閉じこめられて

ビュンビュン飛んでいる。

 私は助けてあげようとおもって、

 自動ドアの前にさりげなく立って、外でも眺めている

ようなふりをして、視野の隅でルリタテハが滑空している

様を見ていた。

 

 このように、窓を開けて、それに気がつくのを待っているのに、

蝶がなかなか気づかずに室内のほのぐらい空間の中を飛び回っている

時間というのは、もう何回も何回も経験しているような気がする。

 電車の中に閉じこめられたモンシロチョウを出そうと

窓を開けたり、

 車の中に飛び込んだイチモンジセセリを出してあげようと

窓をおろしたり。

 そのような時の、彼らの、なかなか気づいてくれない

もどかしい時間の流れのクオリアも、もう何回も何回も

体験していることのように思われる。

 

 しかし、20年ぶりに訪れたクレヨンハウスの中で、

外へのチャンネルに

ルリタテハが気がつくのを待っているのは、

とても大切な時間のように思われ、

やがて何回かの旋回ののちにぱっとその黒い稲妻が

外に出たとき、

 私は何だか久しぶりにうれしかった。

 

 ルリタテハは光の海の中に出ていったのだ。